『外出』八号

『外出』8号、2022

いま私が一番好きな短歌同人が「外出」同人だ。最新号が告知されるたびに歓喜の声をあげている。内山さん、染野さん、平岡さん、花山さん、このメンバーだから当然みんな好きだと思っていて、そういうとき私は「みんな好きなら私の好きはいらんやろ」って思うことが多いけど、「外出」同人に関しては、とにかく「好きです!」と大きな声で言いたい。それが街中のでかいスクランブル交差点でだって構わない。ちょっと迷惑気味なことはご了承願いたい。

今回は作品とエッセイの組み合わせで、号ごとにわりと企画が違うのも好きだ(作品だけのときもある)。ちなみに最新刊の告知がでた時点で友人に4名のエッセイのタイトルを教えたら「なんか地球が滅亡しそうな感じだね」と言われたのもぐっときました。内山さんのエッセイ「ハレー彗星」で、まだ幼い自分が次にその光景を見られるのが何十年後で、その時は身内も自分ももういないという実感を心から得たときの感じがすごく熱かったし、その時間感覚のありようは内山さんの今の作品にも反映されているんじゃないかなと思った。

時かけ枇杷を腐らせながら降る雨のつづきの雨を耳にす
内山晶太「雨脚」(『外出』六号)

別の号から引いてしまったけど、こういう不思議な時間のスパンを一首で展開してくる。

なぜこつちが考へたり嫌つたりしなくちやならないんだろ繊月を撮る
染野太郎「反転術式」

作品は染野さんの連作がやばかったなあ、センシティブな題材ゆえに二項対立になったりとか感情が先行して読者が置いていかれる余地もあったと思うんだけど、差別というものに直面したときの心の揺れ自体に焦点を置くことで、一連を硬直させずに動かしていたように思ったし、感情が余すことなく表出してあって、憑依型の自分はそこに完全入ったし引用の一首で泣きました。

引用の一首は発話の部分に目がいくし、そこへの共感が生まれやすいと思うんだけど、この一首においてより重要なのは「繊月を撮る」の部分で、この行為によって一瞬思考が外される感じ、思い詰めていたところから一旦離れて月を見て、撮る(その前後で月を繊月だと認識する)、それによって生まれる心の空白の余韻が感情を見つめる意味でも効いているなあと思う。

他それぞれ好きだった歌を引いてみます。

アメリカの歴史のようだという比喩が痛烈な嫌味になるはずと思う
花山周子「ガソリン」

びっくりした。たぶん「比喩が痛烈な嫌味になる」ことはこの歌の人のなかではほぼ確定してる事柄なんだけど、それが事実発話されるまでは痛烈な嫌味になるかは分からなくて、シュレディンガーの猫みたいだなと思う。もし〈比喩痛烈な嫌味になるはず〉であれば、それは単に未来への予期にとどまるんだよな。

グラタンは一夜を冷えて壊れたりかたちのなかのもの壊れたり
内山晶太「秋と夜」 

グラタンって冷たくなると器に入ってるのにひび割れて壊れるよね。っていうのが映像としてもしっかりイメージされつつ、下の句にフォーカスすると「かたちの中のものが壊れる」ことにいっそう警句?な感じがもたらされてくるように思う。

白髪は抜かずに切ってくださいいくらでも二十一世紀の絵画展
平岡直子「ますかれいど」

三句目の〈いくらでも〉は〈白髪は抜かずに切ってください〉を引き受けながら〈二十一世紀の絵画展〉へ橋渡しするブリッジのやつだと思うのだけど、ここで〈二十一世紀の絵画展〉が出てくるのが平岡さん!みたいな気持ちなった。あとなぜか私の中では万国旗がずらっと出てきた気分になった。

 

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ちなみに「うたとポルスカ」さん・葉ね文庫さんで入手できるらしいです。