小池田マヤ『放浪の家政婦さん』
最近少し忙しい日が続き、大体これくらいがんばると自分の気持ちがすり減ってきて、回復させないとしんどいのが続く、というのがわかってきた。問題は、精神を回復させるために人とおしゃべりすることが必要ということで、必要なときほど自分は人を頼るのが下手になる。仕方がないのでとりあえず睡眠をとることを優先したけれど、結局真夜中に起きて、誰とも話せない夜を味わうしかなくなるのだった。
無料で読んだこれが案外面白くて、続編2巻を買った。主人公の里は協会Sランクの家政婦で、身長が185cmあって、ブスで老若男女問わずモテる。Sランクもちろん掃除も料理もめちゃめちゃできる。性愛に奔放で、仕事の間は弁えているけれど、そうじゃないときは本音をスパスパ言う。だから顧客はそれに巻き込まれて憤慨することも多いのだけど、気づけば里の完璧な家事に癒され、自身の抱えていた問題に向き合うことになるのだった。
上記の巻に出てくる「信夫さん」は、石材屋に勤めるいわゆる枯れオジで、仕事ができて物腰が柔らかくとにかく女性からモテる。男性からもモテる。ストーカー行為が常態化するくらいモテる。周りから見れば完璧超人なのに、人と一緒にいることがしんどくて、ほんとうは心細さと不安を抱えながら、自分を預けられるような、甘えられる場所を探している。恋人関係になった里からは「信夫さんはメンヘラだよ」ときっぱり言われていた。
これを読んだ後、長く付き合った人のことを思い出して、段々、その人を嫌いになったところを言語化しながら、それはどれも的確だと思うんだけど、そうやって相手の図星をつこうとする自分は、本当は甘えたいのだと思った。そんなことをしても許される自分を確かめようとしている、それは一種試し行為のようでもあると思うし、自分の性質を容認されていることは相手に甘えられている状態でもあると思う。甘えは単に何かをねだったり頼ったりすることではない、と(一般的に認識されていないと)いうのが厄介なんだな。混乱のなかでひとしきり泣いてから、もっと可愛く甘えられたらよかったのにねー、と他人事のように言ってみたりする。
家政婦さんシリーズは、読んだ3巻以外にもあったみたいで他も読みたいなあと思っている。
2023.1に読んだ本
書籍
電子書籍
モーメント 永遠の一瞬 1 (マーガレットコミックスDIGITAL)
未熟なふたりでございますが(3) (コミックDAYSコミックス)
隣の男はよく食べる 1 (マーガレットコミックスDIGITAL)
14歳の里山レシピ 東吉野で、いただきます。 (ぶんか社グルメコミックス)
本日のメニュー【おまけ描き下ろし付き】 1 (花とゆめコミックススペシャル)
ちいかわ なんか小さくてかわいいやつ(1) (モーニングコミックス)
ガチ恋粘着獣 ~ネット配信者の彼女になりたくて~ 2巻 (タタンコミックス)
ガチ恋粘着獣 ~ネット配信者の彼女になりたくて~ 1巻 (タタンコミックス)
九龍ジェネリックロマンス 8 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)
ショーハショーテン! 1 (ジャンプコミックスDIGITAL) 再読
ショーハショーテン! 2 (ジャンプコミックスDIGITAL) 再読
2022.12月に読んだ本
書籍(出版社のないものは同人誌やZINEです)
苦手から始める作文教室 ――文章が書けたらいいことはある? (ちくまQブックス)
針金わたし
ペペンの恐竜の国
多脚
言葉を生きる: 考えるってどういうこと? (ちくまQブックス)
電子書籍
滅法矢鱈と弱気にキス(15) (MARBLE COMICS)
砥上裕將『線は、僕を描く』
一応発起人が私ということになっている短歌同人「えいしょ」(ちなみに代表は別に2人いる)は、気が向いたらDiscordで招集をかけて、なんでもないことを適当に喋っている。そのときにメンバーのNさんからおすすめしてもらったのがこの小説だ。話を聞くに青春小説らしいものの、ミステリーの印象が強いメフィスト賞を受賞しているということで「えっ、そんなことがあるんですね〜」と興味がわいた。
正直この小説のよさと要点については、解説で瀧井朝世さんがきれいにまとめていて何も語ることがないのだけど(解説を読むには本を入手しないといけないけど)、私は情緒がおかしくなっていたのもあって終始泣きながら読んだ。
初めは両親を亡くした大学生の男の子が、著名な水墨画の大家に見出されるという、いかにもな「ビルドゥングスロマン(成長物語)」な導入だったので、いくら「ビルドゥングスロマン」大好きな私でもこれはどうなんだと思いながら読み始めたのだが、話が進むにつれ重きが置かれているのは、絵を見て感じたもの、解釈したことをどのように言葉にしていくかで、それは普段自分が歌会なんかで、短歌を読んで受け取ったものをどう言葉にするか、ということとほとんど同じような感覚で描かれていた。作者は水墨画家でもあるので、描くときの身体感覚がしっかり身についているのは言うまでもないと思うんだけど、それが明確に言語化できるかはまた別の話で、描写を読みながら、YouTubeチャンネルなんかの武道の達人たちによる解説動画や声優の永井一郎さんが書いた朗読の入門書「朗読のススメ (新潮文庫)」を思い起こさせるところがあった。とりわけ「対象に教わりなさい」という物の見方、それは世界の感覚のしかたと言ってもいいのだけど、そうすることで自分が世界に連なっていく、両親を亡くしたことで外とつながることを一度断ち切られてしまった主人公が自分は孤独ではないのだ、と開かれていくところは、かなり宗教的な精神性を帯びていたように思ったし、そういう世界に馴染んできた自分には号泣ものだった。
それでも絵と言語表現が違うのは、絵は言葉を介さずに世界と通じることを考えるけれど、言語表現は言葉を介さずにいられないということで、言葉は感覚よりもそこにある意味内容が先行しやすい。だから同じ表現でも世界に対して違うつながりの回路を持つことになったりすると思う。でも結局、私によって現れた言葉がまた世界に私を存在させることになるし、それがまた世界でもあるわけで、極まるところ内面の話なんだなあ。
と勝手に納得してしまったのですが、現実世界に身を置いてなぜかさみしさを感じてしまう人は、変に何かを信仰するより、少し励まされたり、安心できる一冊かもしれないです(表現を考えるってある意味では信仰なわけですが)。
読んだことないけど一度は読みたいと思っている歌集・3選
いろんな出版社が頑張っていることもあって比較的書店でも書いやすくなりましたが、歌集って元々そんなにたくさん流通していないものなので、読みたいと思ったときには買えないなんてことがよくある。気になってて買うか悩んでるうちに、気付いたら版元にもないとかもよくある。日本の古本屋を駆使するのはもちろん、各オークションサイトを回って定価の3倍で買うとかもある(あった)。東京には国立国会図書館なるものがあると聞いているのですが、こっちの図書館の歌集の蔵書のセレクトって割と謎で、「えっそれあるんだ」みたいなものも多い印象だ。と散々探し回っているけれどそれでもまだ読めていない歌集、そんな歌集を想像も交えながら今日は紹介します。
大滝和子『銀河を産んだように』
サンダルの青踏みしめて立つわたし銀河を産んだように涼しい
「読んだことないけど一度は読みたいと思っている」歌集アンケートがあれば、間違いなく上位にくるはずと信じてやまない歌集No.1。まれに古書店で入荷の案内があったかと思うと秒で売れる。やっぱり冒頭の引用歌が良すぎるよねえ。どういう形でこの歌が並んでいるのか、一度は見てみてたい。その期待感がひたすらこの歌集に対する憧れを強めていく一方だ。下手すると期待が高まりすぎてもう読まない方が良いかもしれないとも思う。そんなことはないけど。
ざっと調べた感じ1994年刊行らしい(間違いがわかったら修正します)。現代短歌社の第一歌集文庫や書肆侃侃房の現代短歌クラシックスとか、第一歌集を復刻するシリーズがあるので、どうにか復刻しないですかねえと思っているのだが、版権の問題とか作者の意向とかあるんだろうなあ。ちなみに第二歌集・第三歌集もかなり手に入りにくい(amazonなどでもめちゃめちゃ高価)。この2冊について、短歌を始めたばかりのころ大滝さんの歌にハマった私はいろんなルートを駆使して入手した。今や懐かしい思い出。
野田光介『半人半馬』
自転車に半人半馬号と書く人間半分やめたくなりて
2017年刊行。このときはもう短歌を始めていたから、買おうと思えば買えたんだった。Twitterで短歌の友人たちが流してる歌が鋭く面白くって、しかもそれが70代ごろの作品だというからびっくりする。なんだろう、どれだけフラットにいようと思っても立派に偏見や先入観はあって、年齢を重ねることで詠われるものの方向性ってなんとなくあると思うんだけど、そういうのをフワッと超えてくる。それがスタイルなんだなって思う。ちなみにこの歌集が第二歌集だというのも、この記事を書くにあたって始めて知ってまたもびっくりしている。
「やっぱりちゃんと読みたいな」と思った頃にはまったく売り切れていて、歌集は大体4〜5年も経てば古本にすらなくて絶版or超高額になるから、見つけたときに買っておくべきなのよ。あと短歌研究社のサイトにも情報残ってないのか見つけられなかった。しゅん。
澤村斉美『夏鴉』
雲を雲と呼びて止まりし友よりも自転車一台分先にゐる
澤村さんを知ったのは、山田航『桜前線開架宣言』を読んだことがきっかけだ。わかりやすく文体に個性がにじむ歌人たちも多く取り上げられているなかで、しっかり歌が上手いなあと思った。短歌を始めた頃、私は上手な歌が作りたかった。その中で『夏鴉』の派手ではないけど、短歌を読むよろこびになりやすい「世界(対象)への発見」も交えながら綴られる生活詠はすごく目を引いた。
それから定期的にこの歌集が手に入らないか探していたのだけど、実は今年、ついに手に入れることができたのだった。とある古書店のオンラインショップで見つけたときはほぼ反射的にポチって支払い手続きまで済ませていた。届いたときはやけにうれしかったのを覚えている。今の自分は歌のうまさをそこまで志向しなくなってしまったけど、それでこの歌集をどういう風に読むのか、とても楽しみにしている。
以上、「読んだことないけど一度は読みたいと思っている歌集・3選」でした!まだまだ読みたい歌集、読めてない歌集はたくさんあるのでガシガシ読みたいです。
『外出』八号
『外出』8号、2022
いま私が一番好きな短歌同人が「外出」同人だ。最新号が告知されるたびに歓喜の声をあげている。内山さん、染野さん、平岡さん、花山さん、このメンバーだから当然みんな好きだと思っていて、そういうとき私は「みんな好きなら私の好きはいらんやろ」って思うことが多いけど、「外出」同人に関しては、とにかく「好きです!」と大きな声で言いたい。それが街中のでかいスクランブル交差点でだって構わない。ちょっと迷惑気味なことはご了承願いたい。
今回は作品とエッセイの組み合わせで、号ごとにわりと企画が違うのも好きだ(作品だけのときもある)。ちなみに最新刊の告知がでた時点で友人に4名のエッセイのタイトルを教えたら「なんか地球が滅亡しそうな感じだね」と言われたのもぐっときました。内山さんのエッセイ「ハレー彗星」で、まだ幼い自分が次にその光景を見られるのが何十年後で、その時は身内も自分ももういないという実感を心から得たときの感じがすごく熱かったし、その時間感覚のありようは内山さんの今の作品にも反映されているんじゃないかなと思った。
別の号から引いてしまったけど、こういう不思議な時間のスパンを一首で展開してくる。
なぜこつちが考へたり嫌つたりしなくちやならないんだろ繊月を撮る
染野太郎「反転術式」
作品は染野さんの連作がやばかったなあ、センシティブな題材ゆえに二項対立になったりとか感情が先行して読者が置いていかれる余地もあったと思うんだけど、差別というものに直面したときの心の揺れ自体に焦点を置くことで、一連を硬直させずに動かしていたように思ったし、感情が余すことなく表出してあって、憑依型の自分はそこに完全入ったし引用の一首で泣きました。
引用の一首は発話の部分に目がいくし、そこへの共感が生まれやすいと思うんだけど、この一首においてより重要なのは「繊月を撮る」の部分で、この行為によって一瞬思考が外される感じ、思い詰めていたところから一旦離れて月を見て、撮る(その前後で月を繊月だと認識する)、それによって生まれる心の空白の余韻が感情を見つめる意味でも効いているなあと思う。
他それぞれ好きだった歌を引いてみます。
アメリカの歴史のようだという比喩が痛烈な嫌味になるはずと思う
花山周子「ガソリン」
びっくりした。たぶん「比喩が痛烈な嫌味になる」ことはこの歌の人のなかではほぼ確定してる事柄なんだけど、それが事実発話されるまでは痛烈な嫌味になるかは分からなくて、シュレディンガーの猫みたいだなと思う。もし〈比喩は痛烈な嫌味になるはず〉であれば、それは単に未来への予期にとどまるんだよな。
グラタンは一夜を冷えて壊れたりかたちのなかのもの壊れたり
内山晶太「秋と夜」
グラタンって冷たくなると器に入ってるのにひび割れて壊れるよね。っていうのが映像としてもしっかりイメージされつつ、下の句にフォーカスすると「かたちの中のものが壊れる」ことにいっそう警句?な感じがもたらされてくるように思う。
白髪は抜かずに切ってくださいいくらでも二十一世紀の絵画展
平岡直子「ますかれいど」
三句目の〈いくらでも〉は〈白髪は抜かずに切ってください〉を引き受けながら〈二十一世紀の絵画展〉へ橋渡しするブリッジのやつだと思うのだけど、ここで〈二十一世紀の絵画展〉が出てくるのが平岡さん!みたいな気持ちなった。あとなぜか私の中では万国旗がずらっと出てきた気分になった。
ちなみに「うたとポルスカ」さん・葉ね文庫さんで入手できるらしいです。
短歌まじでわからない期に読んで面白いなと思った歌集・5選
昔noteで、
短歌始めてから読んで「短歌、面白いな」と思った歌集10冊|のつちえこ|note
という記事を書いたのだけど、今回は「短歌まじでわからない期に読んで面白いなと思った歌集」を紹介します。もちろん短歌がわかる期の人や短歌がわかりたい人が読んでも面白いです。要は普通に好きな歌集を紹介しました。
今橋愛『O脚の膝』
とらんぽりん
とんでたら。
子供だけですと注意をされて
わたし。
こどもです
年に一回は読み返す一冊。電子書籍版で購入しましたが、斉藤斎藤さんの解説含めてめっちゃいい。よわよわをつらぬくことで生まれる強さを体感できる。特に目を惹く行を分けて書くスタイル、遡れば啄木とかいるけど、現代短歌ではほぼ見ないなあと思う。これを読んで「短歌よくわからない…」となる可能性もありますが、行を分けて書くスタイルが作家によっては必然性を帯びてくるのが面白い。つまり私にとっての短歌を追求したらいいってことです。
𠮷田恭大『光と私語』
いつまでも語彙のやさしい妹が犬の写真を送ってくれる*1
一章を読み終えて、普通に短歌やめようと思ったくらい、完璧すぎるってうなだれた。軽い絶望だった。一首読ませて読者を目的地まで連れていくコントロールのよさがずば抜けてる。レトリックで歌作りたい人、これくらい極めないと突き抜けれないんじゃないかって今も思ったりする。あとこれは余談ですが、読んでる間にどうにか気持ちを持ち直したので短歌はやめないで済んだ。
魚村晋太郎『花柄』
自分が版元のオンラインサイトで買ってから比較的すぐ入手できなくなった歌集なんですが、読み始めてすぐに「めっちゃ短歌だ!」と思った。詩情の美しさとか定型への収め方とか、なんていうか堂々と短歌をしていて、そうか短歌ってこういうものを見せていく表現形式だよな、と納得させられる感じ。そういう作品がずっと並んでいるのを読んでいくと、なんかだんだんそれを貫くことが狂気的な気さえしてきて変な興奮状態がもたらされた。こう書くと全然褒めてない感じなのがすごい申し訳ないんですが、極まってるなあと思う一冊。
相原かろ『浜竹』
煌々とコミュニケーション能力が飛び交う下で韮になりたい
短歌の中で面白いこと、例えばユーモアとか皮肉とか自虐とか、をするのって結構難しいと思う。短歌は何かと人と結びついてしまうせいで、そこに差し出されたものを受け取るのにちょっと慎重になる一瞬があったりする。そしてユーモアらは詩的な美しさとも相性が悪い。詩にうかつな隙間があると美しく整っているシュッとした顔ができないから。*3
この歌集は、ユニークでおもしろいのに詩情の美しさを身にまとうことをためらわない。変だと思う。普通どっちかに照れがでちゃうから、強調しようとするのはどっちかになるはずなのに。でも短歌ってそういうこともできるのかって思った一冊。
『渾沌の鬱』
妖怪の世に生れたるゆるきやらは地位低き妖怪の踊りするなり
普段口語で歌を作ってると、文語って難しそうだなあなあって思うじゃないですか。実はそんなことなくって、そんなことないっていうか、わかんないならわかんないなりに読めばいいから、実は大胆に自由になれる可能性が大きいのは文語なのかもしれないと思う。とか言いながら、この歌集は文語だけど、別に口語みたいな楽しさで読める。それは多分文語が手に馴染んでいる人の言葉だからな気がする。いや、普通に口語みたいな感覚で読める文語の歌や歌集って全然あると思うんですけど、手に馴染むそれでいてずっと瑞々しいというか、自分のなかではなんかこの歌集が好きなんですよね。そこをもうちょっと考えろよって話なんですけど、また今度考えます。あとツッコミの切れ味が良すぎてビビる。
ということで、本当は10選にしたかったんだけど、いつまでも公開できなさそうなので、また別の括りで他の歌集は紹介したいと思います。